みりのうつブログ

うつになって三ヶ月。ひどくなる一方ですが、諦めたくない!

自己を犠牲に出来るもの

未成年者の残忍な事件が相次いでいる。

いづれも裕福な家庭の子供である。

世間は

弁護士や、医者といった地位も名誉もある親の元、裕福な家庭に育った子供が何故?と思う。

しかしその背景には

父親は前妻が死後、すぐに再婚。若い後妻はすぐに妊娠。

後妻とうまくいかない子供を厄介者とした。

新しい命、若い新しい妻、新しい生活を送る父親。

前妻の子供はじゃあどうやって生きていったらいいのか?

思春期に女の子は父親の不貞は耐えられない。

同じケースで精神に異常をきたした女の子を他にも私は知っている。

彼女はその後、長く精神疾患を患っている。

子連れ再婚は前妻との子を蔑ろにするケースも多く見受けられる。

身勝手な両親がいかに子供を苦しめるかということ。

片親になったら、今後の人生を全て犠牲をして子供を守るという姿勢を見せなければおそらく子供は満足しない。

それほど愛情に飢える。

子供は、自分が巣立つまで親が自分のために必死に頑張っている姿を目撃する。それをもって愛を知り、確認し安心する。

男としてや女として生きるのをやめて、子供のために生きること決めた親に、貧困問題や思春期や青年期にいろいろな反発はあっても、大人になったときにおそらく感謝しない子供はいない。

親の愛情は自己犠牲ではなく、本能的に無償の愛でそうなるのだろうが。

プライドを捨て去れ。

この病気になって、プライドなんていうものは今更何の役に立つのかしらと考えた。

アホみたいなプライドが人を狂わせたりする。

素直に生きている人が幸福だ。

独身で精神疾患になったらあたしは終わりだろうなと思っていたし、死ぬほどなりたくなかった病気だった。

けど今も死んでいない。

精神疾患になってもまだ頑張ってる人もいる。

そういう人をみるともうプライド捨てろよ、と思うけど過去の栄光やらにしがみついていたりする。

苦しみは過去からやってくるんじゃないかと思う。

人は全てを捨て去って堕ちてから、ようやく救われるんじゃないかと思ったりする。

だから、私もまだまだ堕ちなきゃダメな気がする。

ゆるすということ

ある場所へ行き、ふと書棚を見上げると

一冊の本が目に入って来た。

『ゆるすということ』ジェラルドGジャンポルスキー

よくわからないけど、その本を手に取りめくると

この本はあなたの人生を変えるでしょう

とある。できることならそうしてほしい。と私はその本を読むことにした。

この本が手に入ったのはじつに不思議だった。序文はなんと神との対話でおなじみの

ニールドナルドウォルシュだった。

とりあえず、最初にノートを用意しろとあり、そこに許せない人間の名前をかけとある。

私には思い当たる人間が一人いる。そいつのことだと思った。

この本のメソッドを試して果たして

そいつをゆるすということはできるのだろうか。

きっとできるのだろう。そう信じることが大事だ。

ゆるすということは自由になること。

怒りや避難の悪循環から抜け出せること。

ゆるしによって自分の本当の姿がわかる。

ゆるしは癒しをもたらす。

ゆるしたとき私たちの本質は愛なのだと体験できる。

ゆるさないと過去の出来事にいつまでも縛られるという事実。

恨みにしがみつけば、結局、自分自身を地獄の暗闇に突き落としてしまう。

ゆるしは自分も他人も癒します。ゆるせば自分を見る目が変わり、他人を見る目がかわります。世界観が変わります。四六時中の心の葛藤に終止符を打てます。

プロローグを読んだだけで、私にはゆるしがなにより必要だとわかる。笑

とりあえず時間だけはあるので、ゆっくりメソッドをやってみるつもりである。

つづく

明日のために。

ワイパックスで今日も楽しい気分になる。

ワイパックスを飲めばいつもなんでも乗り切れるような感覚。

飲めば楽しくなる。苦じゃなくなる。

前の自分になれる。

マイナートランキライザーに依存して普通に過ごせるならそれでいいんじゃないかとも思う。

錯覚なのは知っているが。

抗不安薬をいくら飲んでも、翌朝はまた元通り。

不安なままだ。むしろ悪化の一途。

例えるなら白髪をいくら染めても白髪は白髪のままとなんかに書いてあった。マイナートランキライザーのこと。

それでもわたしは

明日のために、今日薬を飲む。

明日を考えなくするために。

間違えだらけだけど、仕方ない。

いってきました。

転院先のクリニック。

うーん。先生は優しくはないです。

話もあんまり聞かない感じ。

結構強引。淡々としてましたね、とにかく。

薬は大して増やさないかんじだったのでとりあえず、ホッとしました。

お薬があいますように。

おやすみなさい。

鬱の問題点

今日朝から、不穏、不調だったので抗不安薬を飲んだ。

根本原因を取り除いて、寛解して、

生活を確保するにはどうしたらいいんだろうと、考えたりする。

それが確立できないから、病気が長引くもしくは再発する原因であり。

またストレス社会に復帰するわけだから。

だから

能力があるのに、働けない。

働きたいけど、長時間働く自信がない。

対人関係に自信がない。

では今後、何を業にして生きていくのか?

そういったしくみが社会にはない。

鬱を患った人が生活をしていくために。

在宅で各自仕事をする会社を作るとか、NPO法人を作るとか、協力してみんなで何かを生み出すとかすることはできないのかと、思ったり。

この病気で苦しみ耐えた人が生きていくために。

それには資本や、有識者や、この病気に対しての理解が必要で。

そんなことを今日は考えたりしてました。

通院日、漢方その後…

病院にいって、先生に経過を話したが

メンタルテストが少し良くなってるということで回復傾向ではあるとのこと。

間違ってはいないが…。やる気は消失したままである。鎮静作用しかないデジレルを飲んでいるからである。

私自身強い抗鬱薬を飲むことを望んでない。

だから仕方がないのだ。

とりあえず、漢方を考えたいので、転院先を相談し、紹介状をもらうことになった。

漢方だが、朝起きたら

カミキヒトウが何気に不安を減らしてくれているような気がした。量をかなり減らし、続けてみる。やめるのは簡単だし。

今日は抗不安薬を飲まずに済んだ。

もともと抗不安薬もあまり飲まずに我慢してきた。とりあえず不安なくなればいいが、なかなか抑えきれないだろうなと思う。

出来る限り自然治癒でなんとかならないか、模索してここまできた。

抑うつ状態は今はほとんどないが、やる気は全くない。